😗Physioはらだかなのもろもろ🐞

120歳まで夢を持ち続けて生きる!自分を信じるとは?人生を生ききるとは?理学療法士としての経験が私の生き方を変える。人生を楽しむ私の頭の中をポロリ✩.*˚

自分の凸と凹を知ることは、人と繋がる大前提だ。

今日、

ある利用者様の御家族から

こんな相談をされました。

 

「今日、行こうと思っている美容院の近くの幼稚園と小学校で、コ〇〇が出たんですけど、美容院に行くべきかどうか迷っています。どうしたらよいでしょうか?」

 

( ˙-˙ )

 

私が決めるのですか?

 

・・・・・チ──(´-ω-`)──ン

 

私は、理路整然と科学の視点で

回答しましたよ。

そして、最終的に決めるのは

ご自分たちですと、

どちらを選んだら

より

快適なのか

それを天秤にかけられたらどうですか、

とお返事をしました。

 

 

そうしましたら

 

なんか

 

反応が

 

いまいちホ━━━( ゚д゚)━━━ゥ

 

 

ん?

 

 

ん?

 

 

モヤ

 

モヤモヤ

 

モヤモヤモヤモヤ

 

 

あ!一緒に悩んで欲しかったんだ!

 

 

そうだよね。

 

誰に頼る事も

相談する事もできなくて

お母さんの事は

全部、娘である自分が決めなくちゃいけなくて

 

そりゃ不安だよね。

 

孤独だよね。

 

時には責任放棄したくなるよね。

 

 

ごめんなさい。

 

寄り添えなくて

 

ごめんなさい。

 

*☼*―――――*☼*―――――

この経験から

 

私は基本的には

寄り添い型ではなく

自律促し型なんだな

とつくづく思った。

 

寄り添って欲しい時は

 

寄り添って下さいとニーズを伝えて欲しいです( •̆ ₃ •̆ )

 

でないと

私、分かりません。

 

寄り添えない型である自分を

受け入れた•*¨*•.¸¸☆*・゚

 

*☼*―――――*☼*―――――

実はその後にリハビリに伺ったお宅でも

 

同じ様な事を感じたのです。

 

介護者の孤独感。

 

自分の事じゃなく

相手の事を決めなくちゃいけないって

 

確かにしんどいかも。

 

特にニーズが不明確だと尚のこと。

 

ふと思ったのだが

 

家族感で

ちゃんとニーズを共有しているのかな?

 

本音で話せているのかな?

 

そもそも

自分のニーズを理解しているのかな?

 

本人もわからないニーズを

例え家族とはいえ

別の人間が察して決断をする。

 

 

コレって非常に難儀なジェスチャーゲームみたいだよね。

 

全く動いてない状態から

何を現しているかを当てる。

 

そりゃ無理やろ。

 

だからといって

周りが決めるのはもっとおかしいし( •̆ ₃ •̆ )

 

ましてや

自律促し型の私には

無理難題\( ˙⌓˙ )/

 

まずは

自分自身を知りましょう!

からだからね

私の場合。

 

まどろっこしい上に説教くさい(笑)

 

でもさ

 

自分を知るから

相手に明確なニーズを伝えられるんでしょ。

 

自分で自分が何を求めているか

わからなかったら

ニーズなんて誰にもわからないでしょ。

 

 

私は

自分を知ることを

皆にやって欲しいと思ってるんだ。

 

皆が自分自身のニーズが明確になって

私に伝えてくれれば

 

基本的に優しい私は

お役に立てると知っているから(˶‾᷄ ⁻̫ ‾᷅˵)

 

*☼*―――――*☼*―――――

世界中の人は

 

皆別々の

多種多様な凸と凹を持っていて

 

自分の凹に誰かの凸が合わさって

誰かの凹に自分の凸が合わさって

そうやって

凸と凹の循環が生まれて、

そうやって地球が回ってるんだと思うよ。

 

だから

ハッキリさせよう

自分の凸と凹

しっかり見せていこう

自分の凸と凹

 

そうしないと

 

隠してたら

 

誰とも

合わさらないじゃん。

 

そしたら

孤独のままだよ。

 

寂しい寂しいって

 

1人でいじけてないで

 

自分の凸と凹を誰かに伝えてみなきゃ

 

いつまでたってもひとりぼっちだよ

そりゃ。

 

人と人が繋がる為に

凸と凹を開示して下さい。

 

それが私のニーズです🦀🎀

 

 

ケ・セラ・セラは無念の想いだったんだ。

ある96歳のケ・セラ・セラおばあちゃん

のお話です。

 

 

一日中テレビ観てソファに座ってるだけ。

 

3ヶ月前に転倒して骨折。

 

動くの嫌いだから

リハビリも真面目にやらない。

 

でも

 

今、杖なしで歩いてる。

 

科学的には自力歩行は難しいと判断される様な方が

スイスイと歩いてる。

 

なぬ!?ですよ!!

 

こういう事に出くわすから

科学を私は信用しきれずにいる。

 

いやぁそれにしても

骨折2度しても

一人で歩けるんだから、

幸せよね。

 

その健康の秘密を知りたい!

 

何を考えて

どう生きてきたのか

知りたい!

 

教えて下さい!!

 

「え?わたし?

なーにも考えない!

ケ・セラ・セラよ」

 

へぇ\( ˙⌓˙ )/

 

うそぉぉ~ん

 

悔しい!!!!!

 

ちょっとは考えてくれよ!

 

こんなに頭使ってる私はなんなのよ?

 

ってか

頭使うって何だ?

 

もっと社会全体の事

考えようよ。

 

とかね。

 

そんな事に頭使ってるかも。

 

今は。

 

「全体としての個」

 

この視点を

私はいくつになっても忘れないで欲しいって

思う最近。

 

だって

大切な大切な

御先祖様がつくった日本

そして

大切な大切な

子孫に受継ぐ日本だから。

 

私は

ケ・セラ・セラを否定したい訳じゃない。

 

そういう気楽さだけど

現実から目を背けるのは

違うと言いたいの。

 

でも、96歳のケ・セラ・セラはきっと

戦中戦後を生き抜く為に

自分を誤魔化すおまじないだったんだろうな。

 

なんとか這いつくばって日本を守ってくれたんだね。

 

自分を見失っても

見失ってはいけないものを

知っていたんだね。

 

貴方達には

変えられなかった日本を

 

私たちが

ちゃんと変えてあげるからね。

 

ケ・セラ・セラと言わなければ

生きて来れなかった

 

96歳の無念

 

受け取ったよ。

 

ちゃんと

日本をつくりなおすからね。

 

私は、

「全体としての個」

「日本國民としての私」

 

という役割を

装備した•*¨*•.¸¸☆*・゚

建物に自然のエネルギーが注がれたよ。

オープンまで

あと4日。

 

新しいリハビリの場所は

メゾネットタイプのアパートです。

 

昨日、ガスの開栓をして

火が付いた瞬間に

 

「あぁ✨息を吹き返した✨✨」

 

って、感じたんです。

 

建物に温もりが通った感覚。

 

そうそう✨

 

水道の開栓の時は

 

「淀みが流されたぁ✨」

 

浄化された

って感じたし、

 

窓を開けて、風を通した時は

 

ちびっ子達がわぁわぁって

駆け抜けていく

爽快感✨✨

ウキウキとした弾ける感じ✨

 

火や水や風のエネルギーが

 

建物に

私の心に

注がれた瞬間✨

 

建物って

無機質に見えるのは

 

こういったエネルギーが

不足してる状態なのかも。

 

人間も同じ。

 

私たちの中には

 

こういう自然のエネルギーが

通って

として輝いてくんだなぁ✨

 

だから

流れを止めたらあかんのですね。

 

そんな気分にさせてくれてくれた

 

愛おしい場所

 

「ゆいはーと トレーニングパーク」

 

命が少しづつ注がれていって

 

その一瞬一瞬を

一緒に体感できて嬉しい💕

 

私と一緒にこれから歩いていこうね(⑅˘͈ ᵕ ˘͈ )

 

こうして

大地に根をはっていって

土のエネルギーを頂いていくんだね✨💕

 

土と水と風と火のエネルギーに

感謝✨

 

 

 

 

 

 

覚悟はいつ決まりますか?

始める前に覚悟を決める

と、私も思ってました。

 

 

でも

はじめたから覚悟ができるタイプ

 

私は、断然

 こっちのようです。

 

一人でできるビジネスを、考えていた時期

 

覚悟が中々できず

行動にも中々移せず

 

モヤモヤしてばかりの日々

 

思いきって

やりたい事を

外側に吐き出してみたら

 

協力してくれる人

応援してくれる人

背中を押してくれる人

 

私の心を見透かすように

 

覚悟なんか決めようが決めまいが関係ない!

やりたいなら

まず

やりやがれ!

 

ってなもんで

 

話がどんどん進んでいった\( ˙⌓˙ )/

 

今月の7日から

 

新しいリハビリテーション

御提供する事に

なっている

 

もうすぐなのに

 

今でも

 

自信なんてないし

 

覚悟もあるのかないのか

 

あやふやだ。

 

やるかやらないかで

悩む必要無いことに

囚われる時もある。

 

まだやらないって選択はできるの?

 

とかね(笑)

 

私はもう走り出してるのにね。

 

その覚悟は

私自身が勝手にしていた。

 

自分に従ってここまで来てます。

 

とにかく

不安だし

自信もないけど

 

やるからやるだけ。

 

 

それだけなんだよね。

 

 

あーでもない

こーでもない

って思考しちゃうなら

 

私と同じ

 

やらなきゃ覚悟なんて

一生決まらないタイプかも。

 

それなら

走り出しちゃえ!

 

それしか道はないと思って。

 

走りながら

自信も覚悟もつけて

道を探して行けば良い。

 

それで良いと

気づいた

 

オープンまで4日前の

心境です(  ˘-˘  )チーン

穏やかな最期ってなんだろね?

先日、ある患者さんの最期の姿について私が思う事を書いたのですが👇🏻https://hanadakara.hatenadiary.com/entry/2021/02/21/221654

 

その後日談がありまして

 

そのお話。

 

*☼*―――――*☼*―――――

今日、御家族にお会いしたら

 

「最期までこんなに穏やかに過ごせて、母は本当に幸せです。」

 

私は、あの断末魔の最後の叫びや

亡くなる数ヶ月前の悲痛な様子を

思い出し

 

ちょっと言葉に詰まってしまいました。

 

家族には

穏やかな自分を装っていたのかな?

 

認知症ってなんでしょうね?

 

本当の姿ってなんでしょうね?

 

 

全部現実だし全部事実

 

私がみた最期は断末魔

家族がみた最期は穏やか

 

どちらも本当で

どちらも嘘なのかもしれないな。

 

それは本人にしかわからない。

 

もしかしたら本人にもわからないのかも。

 

この人前ではこんな自分

 

あの人の前ではこの自分

 

色々使い分けて生きているのが

人間だと思うと

 

最期の印象が

人によって違うって事になるんだろうな。

 

施設って

そういう人の

見せたくない部分を請け負う場所なのかもしれない

 

と。

 

自分がどう在りたいのか

定まっていれば

必要のない場所

 

なのではないでしょうか。

 

 

 

 

人生の最期をどう迎えたいかを真剣に考えたエピソード

ある認知症状の利用者様が

尊い一生を終えられました。

 

その数日前にお会いした時

私は

生きるとは

死ぬとは

どういう事なのか。

 

人生の締めくくり方について

深く考えさせられた。

 

 

終わりよければという言葉がある様に

 

最期は穏やかに逝きたい。

 

この人生で良かったと

思いながら

締めくくりたいし

 

他人の事だけど

できれば

この世の全ての人が

穏やかに死んでほしい。

 

そう強く思いました。

 

もちろん

死に方に良いも悪いもないです。

 

どんな最期であれ

その方が

生きたすばらしい証は

残ります。

 

死に方より

どう生きたかを大切に思ってさしあげる。

それが残された者の思いだと思います。

 

けれど

自分事として

考えたら、、、

 

この人生を終える

この長い長い旅がようやく終着駅に着く

っていう

 

人生一度きりの

大大大フィナーレを

 

納得の行く感情で

締めくくりたいと思った。

 

最高の花道を歩いて

旅立ってほしいなって。

 

そんな事を

考えたエピソードです↓

・.━━━━━━━━━━━━ † 

 

90歳を過ぎ

 

認知症状はどんどん進行。

 

自分がどこにいて

何をしているのか

 

起きているのか

寝ているのか

座っているのか

立っているのか

 

それすらも

わからない。

 

なぜ

なぜ

なぜ

 

私は

何をしたらいいんですか。

 

教えてください。

 

起こしてください。

 

助けの言葉を口にしながら

 

近づく者を殴る蹴る

 

掴みかかり

爪をたて

人を見るや攻撃をする。

 

眼差しは

もはや

現実を見ていない。

 

肉体からは魂が抜け

それでも

何かに縋ろうと必死に

肉体を動かす。

 

助けて

助けて

と訴えるが

どうなる事を

自分が望んでいるのかも

わからない。

 

もう誰にも

家族でも

何もできない。

 

だって

自分でも

もうわからないんだから。

 

起こして

起こして

 

彼女の悲痛な叫びが

私の耳の奥に

こびり付いています。

 

断末魔の叫び

 

私には

そう聞こえました。

・.━━━━━━━━━━━━ † ━━

死に方は選べないのか?

 

どうしたら

輝かしい最期を迎えられると思いますか?

 

 

私は

ちゃんと考える事だと

思います。

 

何を?

 

死に方を。

 

なんという残酷な!

と思いますか?

 

死に方をちゃんと考えたら

 

生き方が

絶対変わるんです。

 

生き方が変われば

 

毎日が

輝いて

楽しくて

ワクワクする様になる。

 

だって

私たちは

楽しむ為に生まれてきたんだから。

 

たくさんの人と

色んな経験を分かち合う為に

生まれてきたんだから。

 

その使命を全うする為に

私は生き方を変える必要があると思います。

 

でも、生きてる時ってなかなか気づきにくいものです。(←まるで死んだ事のあるセリフww)

 

だから

死に方を考えてほしいんです。

 

自分がこの世界からいなくなる時のことを

真剣に考えたら

 

どうやって生きるのが

自分にとって

自分の周りにとって大切なのか

絶対みえてきますよね。

 

だから

考えて欲しいんです。

 

死に方を。

 

この人生を終える時

「助けて」

ではなくて

「ありがとう」

を言いたいから

 

私は

死について

ちゃんと考えます。

 

皆さんも

怖がらずに

自分の死に方を考えてください。

 

そして

理想の最期に向かうために

この瞬間から

行動を変えていきましょう✩.*˚

 

 

 

 

 

医療従事者として、何を選ばせるべきか

こんな問いを

3年くらい前まで

私もしていました。

 

今思うのは

 

自分がどんな立場か

にこだわるのって

 

自分が何者かわからなくなってる時の

"あるある"

だなぁってこと。

 

 

結局、自分が自分の人生の選択を

どうしたいか

がわかってないと

 

〇〇としての

(あるはずもない)正解を

(自分ではなく)患者さんに

選ばせようとする。

 

お前はどうなんだ!って話しよ。

 

自分は、人として

その人に接して

どうなって欲しいと思うのか。

 

そのために、どうしてあげたいのか?

 

まずは

そこの軸を決めて

ケアなりリハビリに望まないと

 

相手に身を委ねていたら

なぁぁぁんにも

決まらなくて

あまたある情報や治療法を

選べずに

迷子になるのは

当たり前。

 

だから

まずは

〇〇(←ご自分のお名前)として

貴方をこう捉えていて

こういう理由から

こうなることがベストだと思う、

ということを

明確にして

 

それを相手に伝えて

 

それを踏まえて

 

その相手が

どうしたいと考えるか

 

を問う。

 

その

答えは

実は

なんでもOK!!

 

それが、

患者さん本人が出した答えなんだから。

 

まずはOK!!

 

で、そこから

じゃ、その答えに近づく為に

何をしましょうか?

 

今からできることの

洗い出しが初められると。

 

 

どんな立場だろうが

自分自身が

どう感じて

どうしたいと思っているのか

明確にする事から

全ては

始まるんだと

 

思っています。