自分の凸と凹を知ることは、人と繋がる大前提だ。
今日、
ある利用者様の御家族から
こんな相談をされました。
「今日、行こうと思っている美容院の近くの幼稚園と小学校で、コ〇〇が出たんですけど、美容院に行くべきかどうか迷っています。どうしたらよいでしょうか?」
( ˙-˙ )
私が決めるのですか?
・・・・・チ──(´-ω-`)──ン
私は、理路整然と科学の視点で
回答しましたよ。
そして、最終的に決めるのは
ご自分たちですと、
どちらを選んだら
より
快適なのか
それを天秤にかけられたらどうですか、
とお返事をしました。
そうしましたら
なんか
反応が
いまいちホ━━━( ゚д゚)━━━ゥ
ん?
ん?
モヤ
モヤモヤ
モヤモヤモヤモヤ
あ!一緒に悩んで欲しかったんだ!
そうだよね。
誰に頼る事も
相談する事もできなくて
お母さんの事は
全部、娘である自分が決めなくちゃいけなくて
そりゃ不安だよね。
孤独だよね。
時には責任放棄したくなるよね。
ごめんなさい。
寄り添えなくて
ごめんなさい。
*☼*―――――*☼*―――――
この経験から
私は基本的には
寄り添い型ではなく
自律促し型なんだな
とつくづく思った。
寄り添って欲しい時は
寄り添って下さいとニーズを伝えて欲しいです( •̆ ₃ •̆ )
でないと
私、分かりません。
寄り添えない型である自分を
受け入れた•*¨*•.¸¸☆*・゚
*☼*―――――*☼*―――――
実はその後にリハビリに伺ったお宅でも
同じ様な事を感じたのです。
介護者の孤独感。
自分の事じゃなく
相手の事を決めなくちゃいけないって
確かにしんどいかも。
特にニーズが不明確だと尚のこと。
ふと思ったのだが
家族感で
ちゃんとニーズを共有しているのかな?
本音で話せているのかな?
そもそも
自分のニーズを理解しているのかな?
本人もわからないニーズを
例え家族とはいえ
別の人間が察して決断をする。
コレって非常に難儀なジェスチャーゲームみたいだよね。
全く動いてない状態から
何を現しているかを当てる。
そりゃ無理やろ。
だからといって
周りが決めるのはもっとおかしいし( •̆ ₃ •̆ )
ましてや
自律促し型の私には
無理難題\( ˙⌓˙ )/
まずは
自分自身を知りましょう!
からだからね
私の場合。
まどろっこしい上に説教くさい(笑)
でもさ
自分を知るから
相手に明確なニーズを伝えられるんでしょ。
自分で自分が何を求めているか
わからなかったら
ニーズなんて誰にもわからないでしょ。
私は
自分を知ることを
皆にやって欲しいと思ってるんだ。
皆が自分自身のニーズが明確になって
私に伝えてくれれば
基本的に優しい私は
お役に立てると知っているから(˶‾᷄ ⁻̫ ‾᷅˵)
*☼*―――――*☼*―――――
世界中の人は
皆別々の
多種多様な凸と凹を持っていて
自分の凹に誰かの凸が合わさって
誰かの凹に自分の凸が合わさって
そうやって
凸と凹の循環が生まれて、
そうやって地球が回ってるんだと思うよ。
だから
ハッキリさせよう
自分の凸と凹
しっかり見せていこう
自分の凸と凹
そうしないと
隠してたら
誰とも
合わさらないじゃん。
そしたら
孤独のままだよ。
寂しい寂しいって
1人でいじけてないで
自分の凸と凹を誰かに伝えてみなきゃ
いつまでたってもひとりぼっちだよ
そりゃ。
人と人が繋がる為に
凸と凹を開示して下さい。
それが私のニーズです🦀🎀